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現代社会を動かす数学

確率解析研究グループ 深澤 正彰 教授

2022-04-01

 私が高校生の頃にアジア通貨危機という金融危機が起きました。ヘッジファンドと呼ばれる人(会社)たちがアジア新興国通貨を大量に売却したことで、通貨価値が暴落し、各国の経済が崩壊しました。高校の「現代社会」の先生が授業で説明してくれたのは、ヘッジファンドの人たちは金融工学という何やら難しい数学を使って、通貨や株の価値が上がっても下がっても儲かるように取引しているということでした。これに興味をそそられたのです。彼らは一体何をしているのか。どうして株価が上がっても下がっても儲かるなんてことが可能なのか。それで国を崩壊させてしまうなんてことがどうしてあり得るのか。同じ先生はケインズの乗数効果を紹介して、等比数列の和という高校数学が、公共事業の経済効果をどのように説明するか教えてくれたこともありました。
 かくして私は現代社会を動かしている数学に興味を持つこととなり、現在は確率論を基礎に、主に金融に関連した社会現象の背後にある数学の研究を行なっています。

数理ファイナンス

Fukasawa_image02.jpg 現代の錬金術とも呼ばれる金融工学ですが、これはその名の通り「工学」的なもので、金融機関が金融商品(金融サービス)を設計するために用いている技術です。個人向けでは、仕組預金、為替ヘッジ付き投資信託、変額年金保険といった金融商品に用いられています。
 金融投資にはギャンブルの要素がありますが、金融機関は投資家相手にギャンブルをしている訳ではなく、「株価が上がっても下がっても」(投資家が得をしても損をしても)金融商品売買に伴うサービス料分が確実に金融機関の収益となるよう、金融工学を用いて設計しています。そんなことがどうして可能なのか。どこかに穴はないのか。単に今のところ上手く行っているからではなく、どのような仮定の下で、どのようなことが、どれほど確実に起こるか、を数学的に厳密に証明しようという学問が「数理ファイナンス」です。よく誤解されますが、数理ファイナンスは将来の株価を予想しようという学問ではありません。
 私は近年、共同研究者と共に、ボラティリティと呼ばれる潜在変数が、金融工学において従来想定されてきた以上に激しく変動していることを明らかにし、そのような前提の下で数理ファイナンス理論を再構築する国際的な研究を先導しています。現在金融実務で使われている金融工学(及び金融規制)はボラティリティの激しい変動のリスクを想定していないので、それが「穴」となって、再びリーマンショックのような金融危機を引き起こす可能性があります。どのようなことが起こり得るか。どのようにすればリスクを解消できるか。そもそもなぜボラティリティはそんなに激しく変動しているのか。これらはまだ完全には解明できておらず、今後ますますの発展が望まれます。

現象の理解とは?

 現象(自然現象、社会現象あるいは個人の行動の結果など)を、美しい数式で記述できたときが、私にとって(おそらく多くの科学者にとって)その現象が理解できたときです。対象が複雑なときは、それを表現する数式も複雑で醜いものになってしまいがちですが、さまざまな対称性に着目したり、適切なパラメータに関する極限を考えたりすることで、現象の本質を炙り出した簡明な数式、つまり美しい数式が得られることがあります。金融などの確率的な現象に対して極限を考えることは、確率論・統計学の基礎である大数の法則・中心極限定理の一般化・精密化に相当することが多く、それが私の研究の数学的側面です。

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 これまで私が貢献できたのは、金融商品価格の漸近展開公式や、高頻度取引における運用損益の収束定理などの証明です。これらの定理の帰結として、前述のボラティリティ変動現象や、漸近最適な高頻度取引戦略を発見することができました。現象を表現すると考えられる確率モデルのパラメータをデータから推定したり、モデルを数値シミュレーションできる形に近似したり、といった実用手法も提案し、極限定理の形でそれらを正当化しました。さまざまな収束定理を駆使する漸近解析が自分の研究の強みだと思っています。

確率・統計・経済学・数理工学

 Fukasawa_image04.jpg 金融現象の理解は勿論、経済学の範疇なので、数理ファイナンスは経済学の一分野とも考えられます(あるいは経済学が数理科学の一分野とも考えられます)。金融工学も経済学に分類されることが多いですが、工学的観点からは数理工学の一分野でもあります。確率・統計・経済学・数理工学はしかしそれぞれに発展してきたので、各分野間の交流はとても活発という訳ではありません。大阪大学ではしかし、2006年に金融・保険教育研究センターが発足し、学内4部局にまたがるこれら4分野の研究者が結集して金融・保険に関する教育研究を行なう環境が生まれました。これは当時の大阪大学の先生方の並々ならぬご尽力があってのことです。私は統計分野の研究室出身ですが、2007年から3年間、このセンターに特任助教として在籍し、学内4分野の先生方から非常に多くのことを教えていただきました。このセンターはその後、数理・データ科学教育研究センターに発展改組し、現在に至ります。私はセンターでの3年間の後、理学部数学教室で5年、基礎工学部数理教室に6年と学内部局を変遷していますが、学内の各分野の先生方との交流が私の大きな財産です。分野の垣根を超えて、「科学と技術の融合による科学技術の根本的な開発」「それにより人類の真の文化を創造する」という基礎工学部の使命に、微力ながら貢献したいと願っています。

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大阪大学 基礎工学部 情報科学科 数理科学コース
大阪大学 大学院基礎工学研究科 システム創成専攻 社会システム数理領域

確率解析研究グループ 深澤研究室